緩和ケアでリハビリをする方の多くが希望を抱いています。
その希望について少し紹介したいと思います。
緩和ケアでリハビリをするようになる前、漠然と抱いていた気持ちがあります。
私は自分が病気で亡くなると知った時、どうなるのだろうか。
そんなことを想像する人もいるかと思います。
そんなこと考えたこともないという人もいるかと思います。
そんなこと考えてもしょうがないという方もいるかと思います。
私が緩和ケアでリハビリをするようになる前に、母親が亡くなりました。
母親が亡くなる前、「人はみんないずれ死ぬもの」と解っていたつもりでした。
近親者が亡くなると、急に目の前に死という現実が現れ、その後も私の傍に常にいるように感じています。
私は母親が亡くなったことで初めて「人はみんないずれ死ぬもの」と理解しました。
私が病気で亡くなると知った時、私はどうなるのだろうか。
不安と恐怖に怯え、ただただ死にたくないと思うのだろうか。
緩和ケアでリハビリを始めた時、癌で亡くなると知った人達に関わり感じたことは、皆さん不安や恐怖を口に出す人がいませんでした。
私が、皆さんにとって不安や恐怖を打ち明けられる存在ではないからかもしれませんが、不思議と不安や恐怖を抱いている感じはしませんでした。
障害受容という言葉がありますが、人は自分にとって強い障害を受けたとき、段階を追ってそれを受容していくという心理学の言葉です。
私が患者さんに関わる頃には、皆さんその障害を受容している段階なのかもしれませんが、どちらかというと死を前にしても、希望を抱いている方が多いように感じました。
希望というのは、病気が治るという希望ではありません。
外資系の会社で仕事一筋で働いていた方がいました。
結婚はせず、ただ仕事一筋に生きてきた方のようでした。
ご両親も亡くなっており、付き合いのある親戚もいないようでした。
胃がんと解り、手術も可能でしたが、生存率なども考えて、手術を選択せず緩和ケアを選んだ方でした。
胃がんのため、食事があまり摂取できず、私とリハビリを始めたときは、皮膚や筋肉の萎縮でかなり痩せていました。
身長も高く、もともとはラグビーをしていたこともあり、体格は良い方だったと話していました。
そのため、病院のトイレに歩いて行けるか行けないかぐらいまで、足の力が弱くなっていました。
その方のリハビリでの希望は、病院に入院してから、一度も自宅へ帰っていないので、自宅まで帰れるようになりたいとのことでした。
自宅は賃貸マンションだったため、解約などの整理をしに行きたいとのことでした。
そして、それが終わったら、今までお世話になった方たちへ会いに行き、お礼を言いに行きたいとのことでした。
食事摂取はなかなか進まず、体重は減る一方でしたが、冷たいアイスは喉ごしが良く食べやすいとのことで、一日に何個も召し上がっていました。
そのおかげもあってか、少しずつではありますがリハビリが進み、病院の外にあるコンビニまで買い物に行けるようになり、車椅子で自宅へ外出することができるようになりました。
その頃になると、仕事の時に付き合いがあった異性の知人の方が手伝いにお見舞いにきてくれるようになり、その方の手助けもあり、自宅の整理をすることができました。
もう退院することはないということもあってか、自宅から病院へ持ってきた物は、少し大きいサイズの紙袋に入る程度のみの身の回りのものだけで、「これだけしか残らなかったよ」と微笑みながら罰が悪そうに話をしてくれたのがとても印象的でした。
どんな生活をされていたのか細かい事は伺うことはありませんでしたが、外資系の会社に勤め、そこそこのお金を貰い、好きなお酒を楽しみそれなりの生活をされていたのかと思います。
ただ、ずっと仕事に生きてきたことの何だか虚しさがそこにはあったかのうように感じました。
最後に、お世話になった方がいて、どうしても直接お礼を言いに行きたい人がいるとのことで、その方が住む所まで行く準備をすることになりました。
ですが、電車で2時間近く行き、そこからバスに乗って行かないと行けないとのことで、日帰りでは難しく、体力的にはかなり厳しい状況にありました。
それでも何とか行きたいと願っていたのですが、唯一口にすることができたアイスも徐々に食べられなくなり、最後の願いは叶えられることはありませんでした。
看護師さん達と私達の仕事で違うことは、最後の最後を患者さんや家族と一緒に迎えることはありません。
仕事を終え、次の日に病院へ出勤すると患者さんの最後を知ることになります。
そろそろ最後かもしれないと覚悟をすることはできますが、やはり別れというものは突然です。
自分の最後が分かった患者さんでも、多くの方は希望を抱いています。
患者さんの抱く希望は人それぞれかと思います。
その希望それぞれにその方の人生が現れているように思います。
私は、その希望を叶えるために少しでも手助けができていること、手助けができたことを願うのみです。
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